高島宏平(オイシックス・ラ・大地社長)

このシリーズでは、経営者を取り上げていく予定ですが、誰を1人目として取り上げるか悩みました。「経営者」と言っても大手企業で社長に上り詰めた方、ベンチャーを立ち上げた起業家の方、同族経営の社長などいろいろなタイプの方がいます。

「20-30代の方にとって親近感を感じる方が良い!」という考えから、オイシックスを立ち上げられ20周年を迎える高島宏平社長がイメージにピッタリだと感じ、1人目として取り上げさせていただくことにしました。
(マッキンゼー出身ということで、筆者としても親近感が湧いたということもあります。)

高島宏平の略歴

神奈川県生まれ。聖光学院高等学校を経て、東京大学工学部、同大学院工学系研究科に進学。大学院時代に起業(有限会社コーヘイ)し多様な活動を行った後、1998年の卒業と同時に戦略コンサルティング会社であるマッキンゼーに参画。当時勃興期にあったEコマース(EC)領域のプロジェクトの主要メンバーとして活躍。

マッキンゼー(McKinsey & Company)

戦略コンサルティングファームの各社の特徴シリーズです。まずは戦略コンサルティング会社を語る ...

続きを見る

2000年にマッキンゼーを退社後、同年に有機野菜の通信販売を行うオイシックスを設立。2017-18年にかけて、同業の大地を守る会、らでぃっしゅぼーやなど経営統合により食品宅配業界の最大手となっている。2021年4月からは経済同友会の副代表幹事に就任することも報じられています。

高島宏平が影響を受けた人

ヤマト運輸の創業者である小倉昌男氏に影響を受けているようです。「個人宅配は日本社会を豊かにする」という小倉昌男氏の意志を、自身の「よい社会をつくるために存在している」という経営理念と重ね合わせながら強く惹きつけられたと振り返っています。

Amazonでの購入はこちら>>>小倉昌男 経営学

その他、同じECサイトを展開しているAmazonのジョフ・ベゾスの他、マキアヴェッリにも思想的な影響を受けており、「マキアヴェッリ語録」もよく読まれているようです。更には「お客さまがまた来たくなるブーメランの法則」も繰り返し読まれており、お客様の家を訪問するなど、この本から学んでいるところも多いようです。

Amazonでの購入はこちら>>>マキアヴェッリ語録(新潮文庫)

Amazonでの購入はこちら>>>お客さまがまた来たくなる ブーメランの法則

高島宏平さんは、ファーストリテイリングの柳井正社長が「3倍で考えることが重要」と言っており、その考え方を参考にしているといいます。2倍だと運が良ければ達成できてしまい、5倍だと絵に描いた餅に終わることが多く、成長を3倍という規模で考えるのが目標として丁度よいという考え方のようです。

こうした小倉昌男さんや柳井正さんなど、技術的な考え方では参考にしているものも多いようですが、高島宏平さんは「結局自分らしいリーダーにしかなれず、会社を経営する以上、自分を信じるしかない」とも述べています。

そんな高島宏平さんが尊敬する人物は、NTT東日本の副社長も務めた父親のようです。「仕事も家事も趣味もこなし、ゴルフもプロ級の腕前であり、同じ土俵で戦えば超えることができない自分にとって大きな存在」と語っています。

高島宏平の信念・習慣

高島宏平社長のことを調べると、とにかく現場が好きな方であることがよく伝わってきます。東京大学卒業、マッキンゼー出身という経歴から、大変な理論派なのかと思いますが、社長でありながら農家や漁師のもとに足を運んだり、「全ての答えは顧客にある」という考えのもと、現場やお客さまの声を非常に大切にしていることが感じられます。

お客さまの声を拾うため、高島宏平社長は、創業以来毎月お客さまの家を訪問しています。「創業後20年以上が経っても、発見がないということは一度もなく、潜在的なお客さまが言葉にならないことを感じるためにやっている」と消費者ビジネスを地で行くような経営スタイルを継続しています。

またリーダーシップ・対人関係のスタイルとしては、人との絆を非常に重視するリーダーであるとも言うことができます。高島宏平社長は、NTT東日本の副社長であった父親の影響で、幼少期に引っ越しが多く、中学受験も経験したことから、仲良くなった友人と離れざるを得ない運命を子どもの頃から経験してきました。その影響か、経営スタイルにおいても「優秀な人を採用するよりも、今いる社員に定着してもらうことが大切」「社員が辞めるのは苦手」などと語っています。

そんな高島宏平社長は2019年のカンブリア宮殿において、「早く行きたければひとりで行きなさい、遠くに行きたければみんなで行きなさい」というアフリカの諺を座右の銘として紹介しています。

高島宏平の人生

どんな学生であったか:リーダーシップの塊

高島宏平社長は子どもの時から、「リーダーになることは楽しい」と感じる学生でした。高校時代に学園祭の実行委員となったり、当時体育祭のなかった聖光学院高等学校において体育祭を立ち上げたりするなど、何かを企画し、実現することを通してみんなで喜ぶというサイクル全体にやりがいを感じる学生だったようです。東京大学の受験を決めた際にも、同級生に「どうせなら東大を受けよう」と声をかけ、聖光学院の東大進学者数が例年の2倍に増加したというようなこともあったようです。

その後、東京大学大学院時代には有限会社コーヘイの社長として、格安航空券をEコマースで販売したり、秋田県で開催された炭鉱サミットの世界同時中継を行うなど、現在のECや動画配信の先駆けとなるような取り組みを多数行っていました。

大学院時代に将来的に社長として自分の会社を経営することを視野に入れ始めた高島宏平さんは、圧倒的な成長スピードの速さを求めて戦略コンサルティング会社であるマッキンゼーの門をたたきます。マッキンゼーは平均在籍期間が3年であることから、「ここならこき使われるかもしれないけど、いろいろなことが身につきそうだ」というのが決め手だったようです。

20-30代前半(社会人最初の10年)をどう過ごしたか:マッキンゼーからオイシックスへ

高島宏平社長はマッキンゼーに入社後も順調に昇格し、1年程度で、「東洋経済」や「ダイヤモンド」などの有名ビジネス雑誌にEC事業についての寄稿を行うなど、早くからマッキンゼーの中でのポジションを確立していました。それだけではなく、マッキンゼーの業務の傍ら大学院時代の起業メンバーと一緒に新しいビジネスの立ち上げに向けたディスカッションを毎週末行っていました。(これ、ビジネスアナリスト時代の課外活動として行っていたというのは、筆者のアナリスト時代を思うと信じられません...)

マッキンゼーで一次情報(≒生の情報)に触れることの重要性を身につけたのか、オイシックスの創業にあたっても地道な調査を行います。高島宏平社長は起業当時の取組みについてインタビューで次のように語っています。

「メンバー全員が独身男性であり消費者ニーズがわからないなか、お客になりそうな人をつかまえて、ヒアリングしまくった。すると、『距離』以外にどういった要素で普段行くスーパーを決めているかを聞いたときに、『野菜が良い所に行く』という人が多かったことから、流通業界における野菜の重要性に気づいた」

30代後半~をどう過ごしたか:オイシックスの成長

創業12年が経ち、高島宏平社長が38歳のタイミングで東日本大震災が発生しました。直後に現場に入った高島宏平社長は、東日本大震災が与えた「これまで経験したことのないレベルのダメージ」を前に、自らが立ち上げたオイシックスを通じた復興支援に着手します。

原発事故による放射性物質の汚染懸念が強まる中、震災発生後1週間で野菜や肉、卵などの放射能検査を導入した他、東北の生産者の支援を目的とした社団法人「東の食の会」を設立し、安全・安心の意識が高い生産者の生産物をオイシックスのサイトで販売する支援を始めました。

近年では、自社オイシックス・ラ・大地の他者との提携を日経新聞の報道で知ることも多いんだとか。各部署には自分の知らないチャレンジをしてほしいということで、「社内では(高島社長に)事前に相談をしないでと言っている」というほどですから、コンサルティングファームの文化を普通の企業に持ち込んでいるようなマネジメントスタイルと思われます。

読まれている記事

-代表的な経営者・起業家
-,

© 2024 戦略コンサルタントという選択 Powered by AFFINGER5