森川亮(LINE前社長、C Channel社長)

3人目としては元Line社長で、現在はC Channelという女性向け動画メディアを運営されている森川亮社長を取り上げます。森川亮さんは、約15年に渡り日本テレビ放送網、ソニーという日本の伝統的大企業に在籍した後、現LINE株式会社の社長を経て、日本テレビ時代の同期とともに女性向け動画メディアであるC Channelを立ち上げられました。15年という長い期間、大手企業に在籍され、その同期と起業するという珍しい事例と言えるかもしれません。

森川亮の略歴

1967年生まれ、神奈川県出身。1989年筑波大学(情報工学専攻)を卒業後、日本テレビ放送網に入社。約10年同社に勤務後、「テレビ局でやれることはすべてやった。外の世界が見てみたい」という考えから2000年にソニーに転職し、ネットワーク関連の新規事業などを担当。日本テレビ放送網在籍中に、私費で青山学院大学大学院にてMBAを取得。2003年、Lineの前身であるハンゲームジャパン(NHN Japan)に転身しライブドアの買収などを推進後、2007年にLINE代表取締役社長。「LINEの事業拡大と多角化により、自らの得意分野から遠ざかっている」という問題意識から、2015年に同社代表取締役社長を退任、女性向けメディアを運営するC Channelを立ち上げ、代表取締役社長に就任(現任)

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森川亮の人生

どんな学生であったか

小学生の頃に所属していた合唱団としてテレビ出演したり、ピアノ、ギター、チューバ、サクスフォン、ドラムなどの多数の楽器を習得したりするなど、森川亮さんは音楽少年でした。

高校時代にシンセサイザーに触れたことで、将来的には作曲にもコンピューターが必要になると考え、筑波大学で情報工学を専攻することに決めました。大学生になるとジャズや、サンバにも領域を広げます。

大学生時代はお金がなかったことと、キャンパスが郊外であり大学以外の出会いが少なかったことから、多くの仕事を経験したいと考え様々なアルバイトをしていたそうです。怒鳴られながら働いた赤坂の料亭のほか、ピザ、そば、ラーメン、フレンチ、バーなど多くの飲食店で働いた他、海の家やビル清掃も経験しました。

森川亮さんは情報工学を専攻する理系の学生でしたが、アルバイトが影響してか、「早く働きたくて仕方がない」という衝動に駆られ、大学4年生になると就職活動を行います。「音楽に関わる仕事を」ということで、日本テレビ放送網を受験し早々に内定を得ました。

20-30代をどう過ごしたか

 「音楽に関わる仕事を」ということで日本テレビに就職したものの、情報工学という大学の専攻からコンピュータシステム部に配属されます。日本初となる選挙の出口調査システムや、視聴率分析のシステムを開発など、業界初の取り組み多く担当しました。それらに注目が集まったことで、森川亮さんは当時から多数の講演を依頼されていたようです。

森川亮さんは26歳の頃に初めて壁にぶつかったと感じていたそうです。「自分のやりたい仕事をしたいが、できない。それでもシステム開発とは違う仕事がしたい」という思いが強まり、日本テレビに辞表を提出しました。その際に当時の上司からは「好きなことをやっていい」と慰留されたことから、インターネット事業を立ち上げ、広告の収益化や動画の有料配信をはじめました。これがLINEやC Channelにもつながる第一歩だったかもしれないですね。

しかし、そう簡単にはエンジニアとしてのイメージは変えられなかったようで、イメージを変える手段としてMBA取得を思い立ちます。1997年からMBA取得に向け青山学院大学大学院に通い始めます。夕方に一度業務を中断してから授業を受け、授業後に帰社し仕事をするという生活を送っていました。その他、イラストレーターを目指してデザインスクールに通ったり、TACに通って会計士を目指したりと、テレビ局時代の森川亮さんはまさに暗中模索だったのかもしれません。

森川亮さんはその後、「テレビ局でやれることはすべてやった。外の世界が見てみたい」と考え、2000年に10年強勤めた日本テレビを退社し、ソニーへ転職を果たします。

ソニー入社後半年で、ブロードバンドで動画を配信するジョイントベンチャーの立ち上げに関与し、森川亮さんは営業やコンテンツ事業のマネージャーとして新会社の急成長を支えました。急成長を遂げた3年間で社員は10人から150人にまで拡大させました。人生初の営業では、青山学院大学のビジネススクールで鍛えたプレゼン力が役に立ったようです。

30代後半以降をどう過ごしたか

約3年でソニーを退職し、森川亮さんは2003年に36歳で、後にLINEとなるハンゲーム・ジャパンに転職しました。韓国ではブロードバンドが普及し始める中、オンラインゲームが成長しており、「日本でもオンラインゲームは成長するに違いない」と考えたことが転職のきっかけでした。1ヶ月後に事業責任者となり、オンライン事業ゲームで一気に事業拡大し、経営再建中であったライブドアを買収するなど、森川亮さんは追い風にも乗って2007年に社長に就任し、ご存知大ヒットアプリLINEを世の中に爆発的に普及させました。

その後、LINEアプリという強みを軸に、同社はLINEスタンプや、ゲームでの収益を上げたり、LINEショッピングの立ち上げや広告事業など事業の多角化を進めるなかで、「自らの得意分野から遠ざかっている」と考えた森川亮社長は社長の退任を考え始める中、2013年日本テレビ時代の同期である三枝孝臣氏から「一緒に動画のビジネスをやらないか」と持ちかけられます。これがC Channelの立ち上げのきっかけとなります。日本テレビ時代から思い入れのある、動画コンテンツの世界に戻り、新たな会社を立ち上げるという挑戦が始まりました。

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