三木谷浩史(楽天創業者、社長)

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4人目は国内Eコマースの草分けである楽天市場のほか、決済サービス、スポーツチーム運営、携帯電話事業への参入など、幅広い事業展開をしている楽天の創業者三木谷浩史社長を取り上げます。

三木谷浩史の略歴

1965年神戸生まれ。1988年に一橋大学を卒業後、新卒で日本興業銀行へ入行。同銀行のMBA派遣制度を活用し、1993年、28歳にしてハーバード・ビジネス・スクールにてMBAを取得。1995年に同銀行を退職し、コンサルティング会社クリムゾングループを設立後、1997年に楽天株式会社の前身となるエム・ディー・エムを設立し。2000年には設立3年にして、株式会社楽天を株式上場。2003年にはクリムゾングループを通じて、ヴィッセル神戸を買収、2004年には楽天野球団を設立し50年ぶりにプロ野球への新規参入を果たす。2005年以降は米国を始め、楽天の海外展開に注力し2010年には同社の英語公用化など同社のグローバル化に向けた取り組みを加速。直近では携帯電話事業への参入を果たすなど、事業多角化にも積極的に取り組んでいる。

三木谷浩史の信念

三木谷浩史社長は「迷ったらやる」ことを信条としているようです。仮に失敗しても、なぜ失敗したのかを学ぶことで、成功につなげていくというのが基本的な姿勢であるようです。

そんな三木谷浩史社長に関する本には以下のようなものがあります。
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問題児 三木谷浩史の育ち方
楽天流
成功の法則92ヶ条 (幻冬舎文庫)
競争力

三木谷浩史の人生

どんな学生であったか

三木谷浩史さんは、神戸大学の名誉教授となられた三木谷良一氏の三男として、兵庫県に生まれました。父親がイェール大学の研究員となったことをきっかけに、7~9歳を米国で育ちました。アメリカ在住の経験から、「何をするにも、意味を考える」ことを習慣とするようになったといいます。

帰国後は私立岡山白陵中学で寮生活を送りますが、スパルタ教育についていけず中退、公立中学に転向するという経験をします。中学時代の成績は、5段階評価の2と3ばかりで、たばこ、マージャン、競馬、パチンコにはまる不良中学生でした。高校2年の時には350人中320位だった成績が、1年間の浪人生活を経て大幅に向上し、一橋大学商学部に入学しました。

中学・高校と続けていたテニスでは、大学3-4年時に一橋大学テニス部でキャプテンを務めるなど、リーダーシップの原点となる経験をされました。一橋大学時代は金融学を専攻していましたが、ほとんど勉強しない学生だったようです。当時は、起業するなど考えたこともありませんでした。

20-30代前半をどう過ごしたか

大学卒業を前に、三木谷浩史さんは何の疑問も抱かず、リクルーターに言われるがまま日本興業銀行に入行します。日本興業銀行は当時の都市銀行の中でもエリートが集まる少数精鋭の金融機関でしたが、三木谷浩史さんは日本興業銀行のMBA留学派遣の枠を獲得し、ハーバード・ビジネス・スクールにMBA留学します。MBA留学の準備にあたっては、朝6時に会社に行き、一人で会議室を使いながら勉強するということを2年間に渡り継続していたようです。

このMBA留学の体験が、三木谷浩史さんの価値観を大きく転換させます。ハーバード留学前は、日本興業銀行内での出世争いに身を投じておりましたが、留学中は「大企業の幹部になるより、起業することに価値がある」と叩き込まれ、「ハーバードの同級生に、銀行で出生したいなんて言える雰囲気ではなかった」と語っています。しかし三木谷浩史さんは社費で留学していたことから、「5年間興銀で働いたあとで独立する」ことがキャリアプランとなっていきました。

帰国後は、日本興業銀行内で企業の大型M&Aなどを支援する企業金融開発部へ配属となり、当時大型M&Aを推進していたソフトバンクの孫正義社長と出会います。孫正義社長が次々と大型案件を実現する中、金融機関の黒子役として孫正義社長の補佐役を務めました。

「5年間興銀で」と考えていた三木谷浩史さんですが、阪神大震災がにより再び価値観が大きく揺らぎます。震災当日は、孫正義社長とニューヨーク出張に向けて飛び立つ予定でしたが、阪神大震災で叔父・叔母、友人3人が犠牲となり、死の存在と自身の時間が有限であることを意識させられます。三木谷浩史さんは「躊躇している場合ではない」と起業を決意します。同銀行を退職し、30歳でコンサルティング会社クリムゾングループを設立、その2年後1997年に楽天株式会社の前身となるエム・ディー・エムを設立します。港区のオフィスビルの一角において6人で創業し、開業初月の楽天市場は、13社の出店で32万円の流通総額からスタートしました。

30代後半以降をどう過ごしたか

楽天の名を大きく知らしめたのが、2004年にライブドアと争った末、新規参入を果たした楽天野球団でした。オリックスと近鉄の統合に伴い、ホリエモンこと堀江貴文社長が率いるライブドアとプロ野球への新規参入権をめぐる争いに勝利した末の参入でした。

2005年には「テレビとネットの融合」と冠し、東京放送(TBS)の株式を買い増し経営統合を目指しました。TBSがホールディング会社かという手法を取ったことで、「ホールディングス会社である放送局の株式は33%以上保有できない」という放送法上の規制により、楽天のTBSの買収は不成立となりました。

三木谷浩史社長は、TBS買収の際に、父親である三木谷良一氏から4つのことばをもらったといいます。それは、ら「大義名分」「品性高潔」「用意周到」「信念不抜」というものでした。三木谷浩史社長はこの4つの言葉に、「一致団結」を加えた5つを楽天グループのブランドコンセプトとしており、神戸大学の名誉教授となられた父親からの影響も強く受けていたと考えられます。

三木谷浩史社長は、自身を破壊的起業家(ディスラプティブ・アントレプレナー)と称しています。考えてみれば、インターネットビジネスの創出も、プロスポーツチームへの参入も、2020年より参入する携帯電話事業も全て常識を覆す取り組みでした。携帯電話事業では、2025年までに1,500万回線の契約を目指す旨を発表しています。

また、2010年に発表した楽天社内における英語公用語化も、自身のリーダーシップを元に強力に推進しました。社内で相談すれば、反対勢力に押し切られてしまうと考え、グローバル化に向け一気にやりきったのが英語公用語化でした。「この人が『やる』と言えば、絶対にやる。決して譲らないだろうと周りも分かっている」と言う通り、リーダーシップをベースにやりきりました。

楽天の役員は興銀時代の同僚や、元起業家など錚々たる面々が務めてきましたが、楽天の成長期に副社長を務めた國重惇史氏は「成長スピードは三木谷社長が一番速く、次に楽天、そして社員が続く」と語るとおり、三木谷浩史社長の成長スピードは他を圧倒していたと言われています

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